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31回(1983年3月)卒 山崎 鈴子
<山口大学大学院理工学研究科教授>

 「光化学の研究と女性研究者支援室長として活躍」

 奈良女子大学理学部化学科木村優教授の下で、錯体を用いた光化学のテーマで学士、修士、博士を取得し、 その後は、研究場所を変えながらも一貫して光化学に関わってきました。 現在は、山口大学にて機能物質化学研究室の教授として、無機化学と物理化学の授業を担当し、 研究室では光機能性材料の開発をテーマに研究指導を行っています。 難分解性の環境汚染物質や化学物質過敏症の原因となる揮発性有機化合物を分解・無害化するための 光触媒材料、色素を用いて光エネルギーを電気エネルギーに変換する色素増感型太陽電池、光照射で 発色するフォトクロミック材料などについて、研究室所属の学生12人とともに研究しています。 子育て中は、1日24時間を如何に効率よく使うかを常に考えていましたが、子供が大学生となってからは、 子育てから解放され、帰宅時間を意識することなく、昔のように研究を楽しんでいます。
 また、昨年度より、山口大学女性研究者支援室長となり、研究以外の仕事も多くなりました。 日本では古くから男女で役割分担が決まっており、社会で活躍する女性の数は男性に比べて少なく、 一方で、男性は子育てに貢献したくても十分にはできない現状になっています。 最近では、男女共同参画推進のための法整備も行われていますが、世界経済フォーラムの 2015年版男女平等指数において、日本は145か国中101位です。 次世代を担う学生の皆さんには現状を知っていただき、将来社会で活躍し、男女が共に活躍できる 社会の実現に寄与するためには、どのような学生生活を送るべきか等を考えていただき、 自らの将来像をしっかり描きながら、有意義な学生生活を過ごしてほしいと思います。

略歴
昭和63年奈良女子大学大学院人間文化研究科修了。学術博士。
日本学術振興会特別研究員
広島大学総合科学部非常勤講師
米国ウイスコンシン大学博士研究員
山口大学理学部助教授教授
山口大学大学院理工学研究科教授<平成18年より>
山口大学女性研究者支援室長(学長特命補佐)<平成26年度より>
Journal of Photochemistry and Photobiology, C: Reviews誌のAssociate Editor.


32回(1984年3月)卒 玉田 薫
<九州大学先導物質化学研究所教授>

 「卒業後自由とその責任を実感」

 化学科を1984年に卒業し、現在九州大学先導物質化学研究所で教員をしています。 昨年夏に卒業30周年記念の同窓会が奈良で開催され参加してきました。 卒業後、東京の企業に就職し、その後世界中を転々とする研究者生活を送ってきましたので、化学科の友人、 学生寮の友人、バレー部の友人の多くと会うのは卒業以来はじめてでした。 30年ぶりの再会なのに、まるで昨日までいっしょに過ごしていたかのように楽しくて、やはり学生時代の友人は 特別だなと感じました。久しぶりに甘くも苦い青春の日々を鮮明に思い出しました。
 現在教員の立場で九州大学に身をおき、学生たちと生活を共にしています。 研究テーマは、「分子およびナノ材料の多次元自己組織化とプラズモン特性」で、物理?化学?生物の境界領域 の研究を進めています。 学生たちは理学府化学科から配属されるため、授業で聞いたことのない「表面プラズモン」なんて研究に 日々翻弄されていますが、それでもよく真面目についてくるなと感心しています。 学生の男女比率は男子3:女子1程度でしょうか。 学生たちの様子を日々見ながら、彼らの年齢の時に自分は何を考えて生きていたかなと思い、そのたびに 「彼らはきっと自分の目の前に想像を超えるすばらしい未来が待っていることをまだ知らないんだろうな」と 思います。社会に出たらすぐに人生の本番が始まり、学生だったこれまでの自分の枠を超えて、自由とその責任を 実感することになるのに、なんと無邪気なことだろうかと。 彼らの無邪気さが心配でもあり、うらやましくもあり・・・。 学びの場所としての奈良女子大学は、今どのような状況でしょうか。 教員の皆さんには、是非過保護にならずに若い彼女たちにいろいろなことを経験させてあげてほしいと思います。 いずれ自分の足で歩き始めた時に、次の世界がみえるまで止まらずに歩き続けられるように。

略歴
昭和59年奈良女子大学を卒業、日本合成ゴム(現JSR)東京研究所に就職
その後米国ウイスコンシン大学、理化学研究所、物質工学工業技術研究所(現産業技術総合研究所)
独国マックスプランク高分子研究所、シンガポール国立大学等での研究経験等を経て
平成17年東京工業大学准教授
平成19年東北大学電気通信研究所教授
平成23年より現職(九州大学先導物質化学研究所教授)


32回(1984年3月)卒 本多 香代子
<ダイキン工業 化学事業部EHS部安全担当課長>

 「主体性を生む奈良女の教育」

 私は、現在ダイキン工業株式会社に勤めております。大学時代は高分子研究室に所属していました。 大学院修士課程を修了後同社に入社し、4月でちょうど勤続30年となります。 この間2回の育児休暇取得で2年強のブランクはありましたが、環境に恵まれて子育てしながら 働き続ける事が出来ました。
 入社直後は化学事業部の研究開発部にてフッ素塗料などフッ素系材料の研究開発に20年近く従事しました。 その後保安管理部門に異動となり、現在はその部署(EHS部(Enviroment/ Helth/ Saftyの略))の課長として、 化学プラントの主な法律である保安3法(高圧ガス保安法、消防法、労働安全衛生法)と環境法に関する申請や コンプライアンスを管理するグループを取りまとめています。 設備の建設や運転にあたってコンプライアンス違反が起きないように、法律で求められている届出や、 設備の運転、維持管理が適切に行われるよう、日々管理指導しています。 法律の知識を求められるのはもちろん、プラントの知識も必要で日々勉強が欠かせません。 又、製造やエンジニアリング部門などの社内各部署との連携や、関係官庁との調整も必要で、 コミュニケーション能力も求められます。近年のコンプライアンス意識の高まりから企業の遵法が強く 求められており、法令違反が起こると企業イメージへのダメージが大きい為、常に責任がついてまわる仕事ですが、 その分やりがいもあります。
 私は、雇用機会均等法元年に就職、育児休業法が施行された年に妊娠、と時代の流れに後押しされ 出産後も仕事を続けてこられました。 もちろん、家族や会社の方の理解と協力がなければ成し得なかったと感謝しています。 さらに、社内でまだまだ数少ない女性管理職として、何とかやれているのは、頼る男性がおらず女性が 主体性を育みやすい女子大という環境で学べたお蔭だと感じています。 昨年、女性活躍推進法が制定されました。私の会社も女性が働き続けられる環境が整いつつあり 女性管理職も徐々に増えてきています。 奈良女を卒業された方々が、これから社会のいろいろな分野できらきらと活躍して下さるだろうと 期待しています。 そして、今回立ち上がったホームページが、そんな皆さんのネットワークを広げる場となる事を願っております。

略歴
1986年   奈良女子大学大学院理学研究科修了
1986年   ダイキン工業株式会社 入社
2012年   化学事業部EHS部安全担当課長 現在に至る


35回(1987年3月)卒 松宮 裕子
<(社)化学情報協会 主席アナリスト>

 「化学文献とともに」

 主に日本の特許文献の英文抄録と索引を作成し、CAS (Chemical Abstracts Service)のデータベースへ 入力する仕事をしてきました。私は物理化学,応用化学、高分子の分野を担当しています。 抄録作成においては,請求項や実施例をはじめ,全体を読んで,その特許の新規な点や用途を, 検索し易くなるように英訳しています。 索引はCASの方針に従い,文献に出てくる重要な物質や用途等をピックアップし,説明句をつけます。 その物質がまだCAS登録番号の付いていない物質であれば,CASにおいて新しい番号が付与されます。 2016年1月現在,CAS登録番号は1億5百万個以上あり,世の中には,それ以上の物質が存在しているという訳です。 単なる数字ではあるけれど,世界中の化学者が合成したり,生物等から発見したりしてきた歴史が積み重なった 数字だと思うと,ロマンを感じます。
 文献検索については,私より上の年代の方なら所謂ケミアブが冊子体で,分厚いインデックスの細かい文字を読んだ事のある方もいらっしゃる事でしょう。実験計画法の授業の課題で初めて触った記憶があります。 私は就職して初めてオンラインで検索しましたが,私より後の年代の方ならSTNのCASデータベース, 今の学生ならSciFinderがお馴染みでしょうか。 最近は,特許文献のどのページにその化合物が記載されているか,実際の文献を表示してすぐ分かる機能もついて, より便利になってきています。
 ここまで読んだ方は,文献の世界にどっぷり浸かった人生を送ってきたと思われるかもしれませんが, 仕事は人生の一部であり,家庭もまた人生の一部です。3人の子供の内,一人は知的障害者なのですが, その子育てで様々な苦労をしてきましたし,これからも苦労は続くでしょう。 色々な方々のサポートで何とか乗り切ってきて,大変だったけれど,良かった事も沢山ありました。 マイナスがあれば,対となるプラスもあるのです。物事が順調に進まない時があっても,ちょうど良い高さの台が 見つかった時に次の段階に上がれると思えば焦る事も有りません。 落ち込んでも,ちょっと光って元の状態に戻っただけと思えば諦めも付きます。 微視的な現象を精神世界に当てはめるのはナンセンスかもしれませんが, 思考法として化学も拠り所になるのではないでしょうか。そんなとき化学を学んで良かったなと思います。
略歴
昭和62年3月大学化学科物理化学研究室(奥村晶子教授)卒業
平成元年3月大学院理学研究科修士課程修了
平成元年4月化学情報協会入社
      情報分析部 アナリシス2グループ 主席アナリスト <現在>


40回(1992年3月)卒 藤原 直子
<国立研究開発法人 産業技術総合研究所 主任研究員>

 「近況をお知らせします」

 大学院修士課程を修了後、社会的・公共的意義に富む研究に携わりたいとの思いから公的な試験研究機関で働くことを志望し、国立研究所に就職しました。現在は、固体高分子形燃料電池の研究グループに所属しています。この燃料電池は電気自動車や家庭用コージェネレーションシステムに応用されていますが、さらなる高性能化のために必要な新材料の開発を進めています。特に、水素以外の燃料を利用するダイレクト燃料電池を対象に、新燃料の探索や高活性な電極触媒の開発を目指しています。また、電気自動車用の次世代型蓄電池として期待される金属空気二次電池の充放電に必要な空気極の開発にも取り組んでいます。
 研究現場では、試行錯誤の繰り返しに途方に暮れる日々や、プロジェクトの目標を達成できるかという不安との闘いの連続で、家庭生活や子育てとの両立は決して容易ではありません。それでも、上司や周りの方々の温かいご支援のおかげで博士(工学)を取得し、何とか勤め続けています。
 時の経つのは早いもので卒業後20年以上が過ぎてしまいました。大学を訪れ、重要文化財に指定されている記念館や鹿のたわむれるのどかな光景を目にすると、今でも学生時代の懐かしい思い出が昨日のことのようによみがえります。入学当初、仮配属先の研究室の先輩が大学生活の様々なことを助言して下さったこと、たくましくて美しい先輩方の研究姿に憧れを抱いたこと、女子学生を優しくそして厳しく指導して下さった先生方のこと。
 リケジョなる言葉で理科系に進学する女子の特殊性を強調する動きがいまだ根強い中、奈良女子大学では前進の奈良女子高等師範学校時代を含めると、100年も前からリケジョを輩出してきました。多くの諸先輩が民間企業や官公庁、教育現場などで活躍され、あるいは、子育てを通じて次世代の育成に貢献されてきたことを非常に誇りに思います。この同窓会を通じて先輩方から現役学生まで、世代を超えてつながることができれば心強い限りです。

略歴(藤原(旧姓 澤井)直子)
1994年 奈良女子大学大学院 理学研究科 化学専攻 修士課程修了
1994年 通産省工業技術院 大阪工業技術研究所(現 国立研究開発法人産業技術総合研究所)
現在  国立研究開発法人産業技術総合研究所 電池技術研究部門 主任研究員


44回(1996年3月)卒 塩境 正子
<大塚製薬 新薬開発部>

 「新薬申請の仕事と大学で培われたこと」

 私は,奈良女子大学を卒業以来,製薬会社で働いています。 入社した時は製薬会社の研究所で研究員として働いていましたが,その後,開発部に異動し, それ以来現在に至るまで,開発部にて新薬の開発に携わっています。 正直なところ,学生時代に化学科で学んだ化学の知識が直接仕事に生かされることはほとんどありません。 しかし,学生時代に経験した,「実験をして結果が出て,その結果をもとに考察し,次にどうすべきかを考える」という一連の作業は,入社以来ずっと生きています。
 製薬会社の開発部の仕事ですが,「新薬の開発」と言っても様々な仕事があり,私が近年メインで携わって いる仕事は「新薬申請」と呼ばれる仕事です。 これは,新薬の候補品を実際に患者さんに使ってもらって収集したデータを,様々な切り口から分析し, その薬がどんな特徴をもった薬なのか,どのような患者さんに効くのか,どういうリスクが考えられるのか, などあらゆる面から考察し,その結果を文書として国に提出する仕事です。 文書の総ページ数は数万ページに及ぶこともあります。 それらの文書を,国の審査官が審査し,審査官が疑問に思った点や懸念点がまとめられ,私たち製薬会社に 「照会事項」として問い合わせがきます。 私たちは,その問い合わせに回答すべく,さらに細かな解析や分析を行い,その結果をもとに新たな考察を 加え,国が定めた期間内に回答を提出することになります。 このように,データを解析・分析して論理的な考察を加え,第三者にわかる形で文章にまとめて説明するのが 「新薬申請」の仕事であり,学生時代に経験した「結果が出て,その結果をもとに考察し,次にどうすべきかを考える」という一連の流れが生かされている訳です。 製薬会社と国との間での「照会事項」と「回答」のやりとりは1年近くかけて行われ,最終的に国が薬として 認めた場合のみ「新薬」として世に出ることになります。
 私は製薬会社での経験しかありませんが,きっと,どんな業種であっても,「自分で考え,自分なりの結論を出すこと」の重要性は変わらないのでは,と思います。 これから大学で学ぶ方,今,大学で学んでいる方々には,化学の専門知識と同時に,ぜひ,データを解釈する力,結果をもとに自分で考え次につなげる力も大切にして頂ければと思います。

略歴
1998年 奈良女子大学大学院理学研究科化学専攻 修了
1998〜2004年 バイエル薬品(株) 研究所 勤務
2004〜2007年 大塚製薬(株)研究所 勤務
2008〜現在 大塚製薬(株) 新薬開発部 勤務


48回(2000年3月)卒 植田 悦子
<サントリー(株) 微生物品質設計>

 「人との出会いを大切に」

 私は2000年の入社以来、清涼飲料水の微生物品質設計に携わっています。
 大学で無機化学を専攻していた私にとって、「微生物」を相手にする仕事は全く未知の世界でした。 入社当時は「微生物品質設計」という業務内容もイメージできず、扱う実験器具の名前すらわからない状態でしたが、今では部署で一番古株の、良く言えば一番経験を積んだ、「微生物おばさん」です。 私が従事する「清涼飲料水の微生物品質設計」のミッションは、何もしなければ微生物によって腐敗してしまう 飲料を微生物から守り、その品質(安全性と美味しさ)をお客様が飲用されるまで維持することです。
 微生物がどのタイミングで、どこから飲料に混入し、どのような悪さをするのか、あらゆる角度から 検討・検証します。 そしてその結果をもとに、今度は微生物から飲料を守るための方策を検討・検証し、その方策を原料の 購買条件や飲料の製造方法、製造工場の衛生管理方法などへ落とし込んでいきます。
 微生物を制御するための方策を検討するうえで忘れてはならないのは、「飲料の美味しさを損なわない」ことです。 例えば「加熱殺菌」は、飲料に混入した微生物を殺菌するうえで最も確実な方法ですが、これは同時に飲料の 美味しさを損なう「加熱劣化」の原因にもなります。 美味しさを損なわない範囲でいかに微生物を制御するかが、我々の頭のつかいどころになります。
 「微生物品質設計」は製品の「安全・安心」に直結する仕事です。 一歩間違えれば企業の存続へも影響を与えかねないため、責任は重大です。 この仕事に携わって15年たった今でも、自分の判断に瑕疵がないか、何か見落としていることはないか、 緊張する日々です。
 時にはこの重責に心が押し潰されそうになることもありましたが、幸いにも常に私の周りには、相談に のってくれる上司と、一緒に課題に取り組んでくれる優秀な同僚達がいました。 彼らのおかげで、今日まで重大なトラブルを起こすことなくやってこられたと感謝しています。
 これからも仕事を続けていく上で、様々な困難に出会うと思います。 一人ではどうしようもない困難も、周りのサポートがあれば乗り越えられることを、これまで何度も経験してきました。 これからも公私ともに周囲への感謝を忘れず、人との出会い、関わりを大切にしていきたいと思います。

略歴
1995年 京都女子高等学校卒業
2000年 奈良女子大学理学部化学科(阿部研究室)卒業
2000年 サントリー株式会社入社
2009年 サントリー食品株式会社(現 サントリー食品インターナショナル株式会社)へ出向 現在に至る


50回(2002年3月)卒 依田 里都子
 <島津製作所
   田中耕一記念質量分析研究所アプリケーショングループ
    主任研究員>

 「「化学」と「英語」のコラボレーションで活躍」

  同窓生の皆様には、ご健勝でご活躍のことと存じ上げます。私は2004年に修士課程を修了し、 現在、島津製作所田中耕一記念質量分析研究所にて勤務しております。 大学院在学中、久留島先生の元でタンパク質の研究をしていた時に、「田中耕一氏ノーベル賞受賞!」という ニュースが国中を駆け巡りました。 特集記事が載った2003年発行の雑誌Newtonが今でも手元にあります。 まさかその田中氏の元で自分が研究生活を送ることになるとは、当時微塵も思いませんでした。
 卒業後、修士在学中の共同研究先であるバイオベンチャーへ就職したものの、研究者として働くには それまで逃げていた大の苦手「英語」に対峙せざるを得なくなり、悩んだ末に退職、ワーキングホリデー制度を 利用してカナダへ渡りました。 キャリアを中断する事に少なからず不安はありましたが、それ以上に「英語なくして研究の道は続けられない!」 と一念発起したのです。 功を奏して今では英語アレルギーも無くなり、英語が趣味の一つとなりました。
 カナダから帰国し、「さて、化学も英語も使える仕事は無かろうか」と就職活動をしていた折に、 特定派遣として面談して頂いた1社目の課長さんが奇遇にも化学科OGの方でした。 初対面にも関わらず奈良女の話で盛り上がり、仕事内容も理想通りであったことから、即契約に至りました。 その後島津製作所へ異動することになりましたが、こちらでの求人も「歌って踊れる人」(英語と実験ができる人) という事で採用頂きました。「化学だけ」「英語だけ」でなく「化学+英語」のコラボレーションがあったから こそ、積み上げられたキャリアだと思います。 また、研究所の同僚にやはり奈良女化学科出身の子がいたり、国内外の学会で化学科の先生方と再会したりと、 本当に奈良女との縁の深さを感じます。
 プライベートでは、ハイキングや日本アルプス縦走、岩・沢・氷瀑登りなど、春夏秋冬、休日の殆どを山で過ごしています。 長期の休みを頂いてネパールへ渡り、トレッキングや6000m峰の高所登山も楽しんでいます。 近頃の大発見ですが、苦しく困難なクライミングを終えた時の達成感や解放感は、苦労して実験し、 まとめ、学会等で発表を終えた時の達成感ととても似ている、ということです。 やはり何事も苦労の分だけ、成し遂げた時の喜びも大きいのですね。 これからも研究とクライミングで自分なりの困難に挑戦し続け、喜びを感じとれるよう努力していきたいと 思います。

略歴
2004年3月 奈良女子大学大学院 人間文化研究科 化学専攻 博士前期課程 修了
2004年4月−2005年10月 バイオベンチャー
2006年1月−2007年7月 カナダ滞在(ワーキングホリデー・学生ビザ)
2007年9月−2010年8月 東洋紡株式会社 医薬事業部品質保証部品質試験G (特定派遣)
2010年9月−2014年9月 株式会社島津製作所 田中最先端研究所 (特定派遣)
2014年10月−現在 株式会社島津製作所 田中耕一記念質量分析研究所アプリケーショングループ(主任)


52回(2004年3月)卒 岡野 朝香
<大日本印刷 評価解析技術研究開発本部>

 「農業分野の新しい価値を提案」

 2006年度修士修了の岡野朝香と申します。この度はホームページ開設おめでとうございます! 懐かしい奈良女OGのみなさまの現在のご様子を知ることができるのかと,楽しみにしています。
 さて,私は現在も卒業後入社した大日本印刷(株)で勤務しており,昨年4月で10年目になりました。上京してもう10年…正直なところ未だに東京の人の多さや複雑な交通網には慣れられず,「関西に戻りたいなぁ…」と思うこともしばしば…。そろそろキャリアプランとライフプランを見直す頃合いですし,2016年は振り返り&検討の年にしようかと考えております。
 仕事のほうは10年間で何度か転換がありました(略歴参照)が,現在は評価解析技術研究開発本部という部署で,分析を通じて生産現場の困りごとを解決したり,農業分野で新しい価値を提案出来ないか?と考える社内ワーキンググループに入って様々な人と対話・議論しあったりしています。農業テーマが主な業務なのですが,元々環境問題に興味があって化学科に入ったということもあり,農業にも興味がありましたので,このテーマに携わることができてありがたいと感じています。携わる分野が工業から農業へ変わり,カルチャーショック(?)も多くありますが,新たな産業に触れ,知識を深めていけることはとても楽しいです。農業は私たちの生活の基盤を支えている産業でありながら,担い手の高齢化や後継者不足といった多くの問題を抱え,衰退していっているのが現状です。ですが,農業の延長上には私たちの食・暮らしがあり,そして更にその先に健康(ヘルスケア)があると考えると,農業ビジネスは今後さらに注目されてくると思いますし,重要なものになってくるはず!ということで,私個人としては,まず大日本印刷で何をすべきなのか・何ができるのかを模索し,貢献していけたら,と考えております。ただしこのご時世,一企業(一個人)だけでできることは限られているのも事実…もしこれを読んで下さっている方のなかで,食・農にご興味のある方,何か取り組まれている方がいらっしゃいましたらお声掛け頂けましたら幸いです。また機会がありましたら,奈良女OGのみなさまとも色々お話させて頂きたいなぁと思っております。今後の同窓会などにも期待させて頂いております。
 末筆となりましたが,みなさまのご活躍とご健勝をお祈りし,筆を置きたいと思います。拙文にて大変失礼致しました。

略歴
2006年   卒業後大日本印刷(株)入社。技術部に所属しフォトマスクの製造に携わる
2012年2月 本社の研究部門に異動。分析業務に携わる(主に形態観察,組成分析)
2014年1月 本社の事業開発部門に異動
      新規テーマの立ち上げに携わる(そのうちの1つが農業テーマ)
2015年4月 再度本社研究部門に出戻り
      農業テーマに研究開発的立ち位置から参画したいという思いで日々業務遂行中


56回(2008年3月)卒 芦崎 瑞恵
<アステラス製薬梶

 「奈良女子大学での素敵な出会いに感謝」

 私は,2008年に奈良女子大学理学部化学科を卒業し,大阪大学大学院理学研究科高分子科学専攻に進学,博士前期課程を修了,現在はアステラス製薬で開発職の仕事をしています。奈良女子大学での研究テーマは「糖連結ピリジルトリアゾール配位子を用いた抗ガン性貴金属錯体のデザイン合成」(機能化学講座 矢野研究室)で,日々,楽しく実験をしておりました。
 就職は,主に製薬会社の開発職を目指して就職活動をしました。この職業に就いている方からのお話を聞く機会が多く,仕事内容に興味をもったためです。製薬会社の開発職は,「くすりの候補」を用いて国の承認を得るための成績を集める臨床試験,「治験」を進めていく仕事です(参考:厚生労働省ホームページ)。データを集めるために日本各地の医療機関を訪れ,医師や薬剤師,治験コーディネーターの方々と折衝するというこの仕事は,人と話すことが大好きで,人の心を豊かにする薬を作りたいと思ってきた自分の姿に近づける仕事と感じました。実際,思い描いていたとおりに仕事ができるようになるまでに数年かかりましたが,「待ち望まれる薬を一日も早く患者さんへ」という目標のために,医師や薬剤師,治験コーディネーターの方々と共有した時間は非常に有意義な時間となっています。この仕事に携わることができて良かったといつも感謝しています。
 大学時代の実験の日々から,少し離れた世界に身をおくことに,戸惑いを覚えたこともありました。テスト前に一生懸命勉強した量子力学の式も会社の仕事では出てきません。大学時代に学んだ量子力学の式は使わなくとも,結果に拘り,研究を「粘り強く続ける」ことを知った研究生活は,社会人として働く私の基盤になっています。また大学時代,友人と将来について意見を交換し,悩みながらも一つずつ選択をしていった結果,小さい頃になりたかった自分に近づくことができました。
 奈良女子大学で出逢った恩師,友人から多くの機会やアドバイスをいただき,私は,今の自分を彩ることができました。奈良女子大学での素敵な出逢いに感謝します。

略歴(中山 瑞恵(旧姓 芦崎))
2004年 京都女子高等学校 卒業
2008年 奈良女子大学理学部化学科 卒業
2010年 大阪大学大学院理学研究科高分子科学専攻 卒業
2010年 アステラス製薬株式会社入社 現在に至る